広島高等裁判所松江支部 昭和39年(う)14号 判決 1971年4月03日
被告人 洲崎利秋 外一名
主文
原判決を破棄する。
被告人洲崎利秋を懲役六月に、被告人江籠平茂太郎を懲役四月に、夫々処する。
但し被告人両名に対しこの裁判確定の日から夫々一年間右各刑の執行を猶予する。
事実
検察官の控訴の趣旨は、記録編綴の松江地方検察庁浜田支部検察官事務取扱検事合志喜生名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
訴訟記録を検討するに、本件公訴事実の要旨は「被告人両名はいずれも日本人であるが、乗員ではないのに渡辺清茂、川口治男外五名と共謀の上、有効な旅券に出国の証印を受けないで朝鮮民主主義人民共和国へ赴くことを企て、右渡辺を除く川口治男外五名と共に昭和三五年一二月二四日島根県邇摩郡温泉津港から漁船旭洋丸(一九・八九屯)に乗船して出国した。」というのであり、これに対して、原判決は、右公訴事実中客観的事実については被告人等がいずれもこれを自白し、証拠上も極めて明白であるとしながら、(イ)本件出国につき治安当局の援助、協力、承認があったとの事実は確認できないが、被告人等において治安当局、特に境港警察署の承認があるものと信じ、かつそのように信ずべき正当な理由があったから、被告人等には罪をおかす意思がない、(ロ)仮に浜田港において被告人等が違法の認識を持つようになったとしても、当時被告人等は渡辺清茂より費用として二〇万円を受領し出航準備を完了していたし、また出国を断念して牛深へ帰港すれば船主野元功に対して航海費等を清算しなければならないのに、その資金のあてがなく、加えるに境港警察署等の好意的態度や被告人等に本件出国が国家目的に合致するとの強い確信があったこと等をしんしゃくすれば、被告人等に本件出国を思いとどまることを期待することは不可能であった、との理由で本件は罪にならないとし、被告人両名に対し、夫々無罪の言渡をしたことが明らかである。
これに対する検察官の所論は、これを要約するとおよそ次のとおりである。
第一点 法令の解釈適用の誤り
(一) 犯意について 原判決が被告人等に罪をおかす意思がないと判断した理由は必ずしも明確でないが、これが「違法性の認識の欠缺」又は「法律の錯誤」を理由とするものであれば、右二点がいずれも犯意の要件ではないこと既に大審院、最高裁判所の判例の示すところであり、また「違法性阻却事由についての錯誤」を理由とするものとしても、後記事実誤認の論旨記載のとおり、被告人等において本件出国につき警察庁や水産庁等の承認があると信じていた事実はなく、またそのように信ずべき正当事由もない、更にたとい被告人等においてこれら行政庁の承認があると信じていたとしても、これらの行政庁には出入国管理令の定める手続によらないで出国することも承認する権限を有していないから、単なる法律の錯誤にとどまり、違法性阻却事由の錯誤には該当しない。
犯意は構成要件該当事実についての認識があれば充分であつて、本件において被告人等は出入国管理令の定める手続によらないで出国することを認識していたから、犯意の存在は明白であるのに、原判決が被告人等に犯意がないとして無罪を言渡したのは、法令の解釈適用を誤ったものである。
(二) 期待可能性について 被告人等が渡辺清茂より二〇万円の金を受取り、これを北鮮向出港費用や船員の給料に支出したとしても、その後始末は関係者の話合い又は法的に容易に解決し得るし、被告人等は却つて渡辺に欺されたことによって出捐したことに対する損害賠償の請求をなし得る立場にあつたものであり、また野元功から受取つた航海費一〇万円についても同人との間で同様に解決し得ることである。被告人等の出国目的についても原判決のいうように国家目的のためという確信や崇高な精神に立脚したものではなく、北鮮へ行つてくれば一人宛五万円の報酬が出るというので本件出国を思い立つたものであり、金銭目的のためであることも証拠上明らかである。
元来刑法における期待可能性の理論はこれを認めるとしてもその要件については充分に吟味し慎重を期さなければならないものであるところ、本件の如き事情のもとでは被告人等に犯行を思いとどまらせることを期待することが不可能とは到底認められないのにかかわらず、原判決が期待可能性なしと判断したことは、法令の解釈適用を誤つたものといわなければならない。
第二点 事実誤認
原判決が被告人等において治安当局の承認があると信じ、かつそのように信ずべき正当な理由があると判断するに当り、重大な事実誤認をおかしている。即ち原判決が認定した事実のうち、(イ)渡辺清茂が昭和三五年一二月中旬頃中島辰次郎、福島四郎を通じて「試験操業に関する基本方針」と題する書面について警察庁警備課の意向を確めたところ不法ではない旨の回答を得たとの認定、(ロ)被告人等は同年一一月二〇日頃渡辺清茂より北鮮との漁業合作は国家のなすべき事業を代つて遂行するのだから、帰国すれば大いに歓迎されるし、警察の了解も得てある旨を告げられたとの認定、(ハ)境港警察署や浜田警察署の警察官が被告人等の出国の意図を知りながら、その取調べも極めて形式的で出国を阻止しようとした形跡がなく、却つて種々好意的態度をもつて遇し、被告人等において本件出国を承認されているものと誤信したのも止むを得ないことが認められるとの認定、以上の原判決の認定はいずれも事実誤認であり、寧ろ被告人等は昭光丸、天神丸事件以来渡辺清茂と共謀し、同人の企図する漁業合作事業が国家目的に合致するとの名目の下に、自己等の経済的利益をはかろうとして不法に朝鮮人を北鮮に送り込むことを計画し、その都度警察等の厳重な警戒取締に阻止されながら、なお右企てを断念せず、本件においても幾多の欺罔手段を用い、取締機関の目を巧みに欺き、出入国管理令の定める手続によらないで密出国を敢行したものであり、被告人等において本件出国が不法のものであることを認識していたことは明らかである。
以上の法令の解釈適用の誤り、事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は到底破棄を免れない、というのである。
そこで進んで検察官の右各所論につき検討するに、被告人等が前記公訴事実のとおり旅券を所持しないで出国した事実は同人等の認めるところであり、証拠上も明らかであるが、出国の経緯その他の事情、帰国後の状況につき、当裁判所は原審並びに当審において取調べた各証拠により次のとおり認定するものである。すなわち、
(一) 本件旭洋丸事件の主謀者は渡辺清茂とみられるところ、渡辺は戦時中軍の嘱託により満州において特務工作に従事していたが、その後帰国して終戦を迎え、一時中華日報社、内外タイムス社で働き、昭和二二年頃社団法人交易合作公社を設立してその代表者となり、主として中国大陸との貿易の振興に努力してきたものであるところ、その頃日本海で操業中の日本漁船が相ついで拿捕される実情を見て、日本漁船の安全操業のため中華人民共和国(以下中共という)及び朝鮮民主主義人民共和国(以下北鮮という)との間において民間ベースで漁業協定を結ぶ必要があると考え、政府当局に対してもその協力を陳情したが、結局その承認を得ることができなかつた。その間昭和三〇年頃北鮮の工作員として来日した韓載徳との間に漁業合作に関する仮協定を結んだが、韓が検挙されたため挫折し、渡辺としては右仮協定を更に押し進めて本協定を締結するため、漁業合作に関する自己の意思が真摯なものであることを我が国及び北鮮の関係当局に理解させる目的で北鮮に自己の使者を派遣しようと考えたが、漁業合作計画が我が国の政府当局の承認するところでなく、かつ共産圏諸国に対する出国手続をとることが容易でなかつたため、渡辺は不法な手段を用いてでも秘密裡に右目的を遂げようと企てるに至つた。そこで先ず昭和三三年昭光丸を傭船し、これに朝鮮人呉建八を乗せて北鮮へ送り込もうとしたが、出港直前関税法違反の嫌疑で捜索を受けたことと呉建八の在留資格が不法のものであり、かつ不法に桜井繁名義を用いて船員手帳を受給していたことが発覚して逮捕されたため失敗に終わり(昭光丸事件)、次いで翌三四年天神丸を傭船し、韓国貿易を仮装して朝鮮人金奉[王民]を北鮮へ送り込もうとしたが、関係者の連絡がうまくゆかず、資金難等のためこれも出国に至らずして終わつた(天神丸事件)。
しかして被告人洲崎は韓国貿易のため昭光丸に乗組んでいたことから昭光丸事件に際し呉建八を通じて渡辺と知合い、天神丸事件の際には渡辺の使者として同船の傭船に協力し、これに乗組む予定であつたものであり、被告人江籠平は昭光丸事件の際同船の機関長をしていたものである。
(二) 渡辺は天神丸事件後もなお北鮮との漁業合作協定の交渉を断念せず、昭光丸事件、天神丸事件の経験に照らし、船員手帳を必要とせず、かつ関税法違反の嫌疑を受け難い小型漁船を用い、これに冷凍機を積込み、公海漁撈に出漁する形を装つて出国しようと企て、被告人洲崎に対しこれに適する船を世話してくれと依頼していたところ、たまたま被告人江籠平が野元功所有の漁船旭洋丸(一九・八九屯)に船長として乗組み、鮮魚買付けのため鹿児島方面から長崎五島方面へと向かう途中、昭和三五年一一月一九日熊本県牛深港に寄港し、当時同市内に居住していた被告人洲崎を訪問したことから、両者の間において右旭洋丸を北鮮との漁業協定交渉のため渡辺に提供しようと相談し、その頃被告人両名は揃つて上京し、渡辺に会つてその旨を伝えた。そしてその際渡辺より準備金として二〇万円、手当として五万円出すが、北鮮との漁業協定は国家的仕事だから、これに成功すれば朝野の大歓迎を受け、多額の報酬を貰える旨激励され、かつ北鮮とは連絡ずみだから何も心配はないといわれ、なお旭洋丸の乗組員等を説得するため漁業合作協約書案、北鮮からきた電報の写し、渡辺が日中漁業協定に努力している旨の記事を掲載した新聞の切抜き等を預つて牛深へ帰つた。
(三) 一方渡辺は北鮮との漁業合作協定の成立を推進するため、戦時中軍の特務機関員をし、戦後内閣調査室に関係していた中島辰次郎に協力を依頼していたところ、昭和三五年一〇月頃中島から韓国の工作員として来日した尾崎清次郎こと張永晋を紹介され、同人が「自分は北鮮の政府関係者をよく知つており、交渉に自信がある。」というので、同人に漁業合作協定の交渉の斡旋を依頼し、また同年一二月始め頃北鮮との漁業合作協定締結の準備知識を得るため漁業調査を行うことを目的として試験操業を実施するが、その際漁業基地として相手方港に寄港するので当局の了解を得たい旨記載した「試験操業に関する基本方針」と題する書面を作成して中島に渡し、警察庁の意向を確めて貰いたい旨依頼し、中島はその頃警察庁に出入りしていた福島四郎にこれを示したが、福島は警察庁警備第二課の大竹直三郎課長補佐に「北鮮へ魚を取りに行くとどのような罪になるか。」「渡辺が漁業合作のために試験操業をする計画をしていることを知つているか。」等と漠然とした雑談をした程度で、前記書面を警察庁に持参して当局の意向を確めたり、いわんや出入国管理令の定める手続によらないで出国することにつき当局の承認を求めたような事実は全然なく、渡辺は結局前記書面に対する当局の回答を何等得ることができなかつた。また渡辺はその頃第三管区海上保安部警備課長をしていた海上保安官金丸信に対し「朝鮮水域で漁撈に出るが途中時化に遭つて北鮮の港へ避難するときはどうするのか。」等と尋ねたりしているが、これも雑談程度に過ぎず、具体的に北鮮向け出国するについて援助協力を求めた事実は認めることができない。
(四) 被告人等は牛深に帰り、旭洋丸の乗組員等に対し渡辺の話を伝え、預つてきた書類を示して漁業合作協定の交渉のため北鮮に行くことを納得させ、被告人洲崎は再び単身で上京して渡辺と会い、出港費用二〇万円、傭船料五〇万円等細目についての打合わせをし、張永晋の紹介を受け、渡辺が同年一一月頃購入用意していた冷凍機を鳥取県境港宛に発送して牛深へ戻つた。その途中被告人洲崎は渡辺の依頼により大阪駅から境港警察署汐留警備係長宛に漁業合作契約書、同細目書、合作漁撈実施要領、経済合作協約書、附則日本船の朝鮮港向就航暫行弁法と題する各書面(いずれも案文)を同封した封筒を郵送し、牛深に戻つてから船主野元功に対して、漁業合作協定の下調査のための試験船として北鮮へ行くが手続は合法的であり拿捕される心配はない旨話し、傭船料五〇万円、拿捕された場合は保障する旨の仮契約を結んだ。
ところで被告人等は渡辺より早急に境港へ向け出港するよう催促を受けたが、その頃機関長として旭洋丸に乗組んでいた弓削某が窃盗の疑いで警察に逮捕され、資格を有する機関長が居なくなつたため海上保安部牛深分室より資格を有する機関長を乗船させるよう厳重な警告を受けたが、出港に間に合わないので、被告人洲崎がたまたま入手した吉川由蔵名義の海技免状を利用し、機関員として乗組んでいた鼎富勝に吉川由蔵名義を詐称させることとして同年一二月一九日牛深を出港し、境港へ向かう途中北鮮迄の燃料や食料等を補給するため同月二一日島根県浜田港へ入港した。なお、被告人洲崎は牛深港出港に先立ち、境港警察署景山巡査部長宛に、漁業合作に関する書類とともに同月二〇日には境港へ入港する、渡辺より境港警察署宛に経費が送られる筈なのでよろしく頼む旨記載した信書を郵送した。
(五) 渡辺は同年一二月二〇日夜東京を出発し、翌二一日境港へ到着し、同日浜田より国鉄山陰線で境港へ来た被告人洲崎と落合い、同市内の旅館に投宿し、境港警察署景山巡査部長に電話で面会を申込み、翌二二日同巡査部長が旅館に来たので、渡辺が同巡査部長に対し、朝鮮海域の漁業調査の目的で出港し、新甫港に寄港する、人や物を積んで行くことはしないし、中央の当局の了解を得ている旨を告げ、これに対し同巡査部長は合法的に行くのであればかまわないが、違法な行為があれば検挙する旨を警告し、署へ戻つてから警察庁へ旭洋丸の出国について承認を与えた事実の有無を問合わせたところ、そのような事実はない旨の回答を得た。なお景山巡査部長は渡辺等より酒の馳走を受けたので、上司と相談の上その返礼としてウイスキー一瓶を渡辺等に贈つた。また被告人洲崎は昭光丸事件の際布団類を境港市内の一時預り所に預け放しにしてあつたので、景山巡査部長に注意され、預け賃を値引いて貰つてこれを引き取つたが、値引きについて同巡査部長に斡旋して貰つた事実は認められない。
(六) 渡辺は被告人洲崎より旭洋丸の構造について説明を受け、船体が小さいため冷凍機の積込みができないのでこれを断念し、右両名は同日国鉄米子駅で東京から来た張永晋と落合い、山陰線で浜田に向かつた。境港警察署では渡辺や被告人洲崎から同警察署宛に送られてきた前記書面、従前の昭光丸事件天神丸事件の経緯、境港における渡辺等の言動から考えて密出国の嫌疑が濃厚であるとし、鳥取県警本部と連絡の上、同警察署の署員をして右三名を尾行させるとともに、鳥取県警本部を通じ、景山巡査部長の報告書を添えて島根県警本部に通報した。島根県警本部では松江地方検察庁に赴き公安係検事と検討した結果、直ちに強制捜査に踏み切るには未だ資料が不足であるとの見地から、管轄の浜田警察署に対し、旭洋丸関係者の動向をよく見張り、職務質問をし、特に新な乗船者と積荷の有無に注意し、確証を掴めば検挙し、掴めない場合は警告と証拠確保の目的で北鮮へ行く意図の有無につき上申書を書かせるよう指示し、浜田警察署の署員は境港警察署員の引きつぎを受けて渡辺等三名の尾行を開始した。渡辺等は浜田に到着後、渡辺と張は市内の橋本旅館に偽名を用いて投宿し、被告人洲崎は渡辺より出港費用(牛深港に停泊中渡辺より二五、〇〇〇円の送金を受けていたので浜田では二〇万円との差額一七五、〇〇〇円)を受領し、被告人江籠平とともに北鮮迄航海するに必要な重油や潤滑油並びに乗組員の防寒衣、食糧等を購入したり、一部を乗組員の間で分配した。この間浜田警察署の署員は渡辺や張の尾行を続け、或いは旭洋丸に赴いて同船の行先、航海の目的、乗組員の氏名等を尋ね、これに対し被告人等は境港へ行つて冷凍機を積み、九州へ帰る旨虚偽の供述をし、かつ被告人両名は同署員の求めに応じて夫々北鮮へは行かない旨の上申書を作成して提出した。なお浜田警察署の原巡査は旭洋丸の乗組員等に対し「海上保安部の者から警察が何を調べに来たか聞かれたら、浜田港では傷害事件等が多いので、入港した船につき船籍や乗組員の氏名を確認するのが慣例となつているので聞きにきたと答えておけ。」と注意している。
(七) ところで張永晋は浜田市内での執拗な尾行と職務質問におそれをなし、旭洋丸に乗船することを拒否し、東京へ帰りたいといい出したので、渡辺と被告人洲崎は極力これを宥め、張の乗船地を浜田港から温泉津港に変更することで同人を納得させ、渡辺と張は直ちに山陰線で島根県邇摩郡温泉津町に赴き、同地の紙屋旅館に偽名を用いて投宿した。
被告人洲崎を乗船させた旭洋丸は同月二四日午前七時頃浜田港を出港し、午前一〇時過ぎ頃温泉津港に到着し、被告人洲崎は紙屋旅館へ渡辺と張を迎えに行つた。そこで張と被告人洲崎は衣服を取換え、渡辺とともに同旅館から温泉津港へ向かう途中、渡辺が温泉津警察署員の職務質問を受けたので、これに応じている隙に被告人洲崎と張は旭洋丸に乗船し、直ちに同港を出港して北鮮新甫港に向かつた。その際被告人両名を含み乗組員全員は旅券は勿論、これにかわるべき船員手帳を所持していなかつた。
旭洋丸出港の知らせは直ちに島根県警本部を通じて鳥取県警本部へ通報され、鳥取県警本部では旭洋丸が境港へ寄港することを予想し、境港警察署へ指示して警戒態勢をとらせたが、予定の時刻に同船が境港へ姿を見せなかつたため、ここに被告人等が出入国管理令に違反し、不法に北鮮に向け出国したとの容疑を固め、島根県警本部と連絡の上旭洋丸の帰国に備え、出港地を管轄する島根県警において逮捕状等の令状を用意することに打合わせたが、同県警では結局旭洋丸が帰国する迄令状の請求をしていなかつた。
(八) 旭洋丸は同月二八日北鮮新甫港に到着し、直ちに同国官憲の取調べを受けた結果、昭和三六年一月一〇日張永晋を残し、被告人等七名は旭洋丸で帰国の途につき、同月一二日夜一〇時頃境港に入港した。境港警察署では翌一三日早朝旭洋丸を発見し、直ちに臨船して取調べにかかつたところ、乗組員一同北鮮へ行つたことを自白したので、境港警察署へ任意同行を求め、身上経歴等につき簡単な取調べをおこなつた。その間予期に反して島根県警では逮捕状を用意してなく、却つて浜田海上保安部より逮捕状を用意していることを理由に身柄の引渡要求があつたので、それ以上犯罪事実に関するくわしい取調べや証拠物の押収等をせず、同日夕方被告人等を海上保安官に引渡し、被告人等は海上保安官によつて旭洋丸とともに浜田港へ連行され、逮捕された。
因に原審の証人張永晋に対する尋問調書によれば、同人は新甫港から平壌に赴き、漁業合作協定を成立させたと供述しているが、その真偽の程は明らかではなくまたこれを確認するに足りる的確な資料も存在しない。
(九) なお、原審及び当審の証人渡辺清茂に対する各尋問調書によれば、同人は、本件旭洋丸の出国目的につき北鮮海域における漁業調査と試験操業をすることにあり、漁業合作協定のための交渉をすることではないと供述しているが、しかし同人の検察官に対する供述調書(二通)によれば、漁業合作協定の交渉が目的である旨供述しているし、更に被告人洲崎の自供で認められる如く旭洋丸には漁撈用具や漁業調査の器具等を全然積んでいないこと、被告人等旭洋丸の乗組員はいずれも単なる船員であつて漁撈の専門家ではないこと、危険をおかしてわざわざ張永晋を乗船させていること等の諸点から判断して渡辺の前記供述は到底信用できず、単に合法性を仮装するための口実に過ぎないと認められる。また被告人洲崎は原審及び当審の公判廷において、被告人等は渡辺に欺され、北鮮に対するスパイ行為に利用された旨供述するが、その理由がないことは前記認定事実に照らし明らかである。その他被告人両名の原審及当審における各供述中、前記認定に反する部分はたやすく信用できず、他に以上の認定を覆えすに足りる的確な証拠は存在しない。
次に以上認定した事実関係に基づいて原判決の当否を判断する。
(一) 原判決が被告人等に罪をおかす意思がないと認定した点について。原判決のこの点に関する理由は必ずしも明確ではないが、乗員ではない日本人が本邦外の地域におもむく目的をもつて出国する場合、有効な旅券を所持し、出入国港において入国審査官からその旅券に出国の証印を受けなければならないこと出入国管理令第六〇条の定めるところであり、警察庁、海上保安庁等の治安当局において右出入国管理令の定める手続によらず、有効な旅券又はこれに代わるべき乗員手帳を所持しないで出国することを承認する権限を有しないことは明らかである。そして本件の全資料を精査するも被告人等が旅券等を所持しないで出国するにつき治安当局の承認があつた事実を認むべき証拠は何もないだけでなく、たとい被告人等において治安当局の承認があると誤信していたとしても、治安当局にかかる権限がない以上、それは単に法律の錯誤(違法性の錯誤)に過ぎず、これをもつて直ちに違法性阻却事由に関する事実の錯誤となし得ないことは検察官の所論のとおりである。
ところで、犯罪の成立要件の一要素である犯意(故意)は原則として構成要件該当事実の認識をもつて足りるのであるが、しかし法律の錯誤にせよ自己の行為が法律上許されたものと誤信し、かつそのように誤信するにつき正当な理由がある場合には犯意を阻却する場合のあることが判例上も次第に承認されてきている(広島高判昭和四四年五月九日判例時報五八二号一〇四頁、東京高判同年九月一七日判例時報五七一号一九頁)ところであるので、本件においても被告人等が旅券等を所持しないで出国するにつき法律上許されたものと信じ、かつそのように信ずべき正当な理由があるか否かを判断するに、被告人等及び弁護人がその根拠として主張するところを要約すると、(イ)被告人等が渡辺清茂より中央の治安当局の承認があると言われたこと、(ロ)北鮮との漁業合作協定が日本漁船の安全操業を確保し、国家目的に合致するものと信じたこと、(ハ)第一線の治安機関、特に境港警察署及び浜田警察署の署員から旭洋丸の出国について援助、協力、激励を受けたこと、以上の三点に帰するので、以下これらの点について順次検討する。
(イ) 渡辺清茂が警察庁、海上保安庁等中央の治安当局より本件旭洋丸の出国について出入国管理令の定める手続によらないで出国することの承認を得た事実がなく、また同人が作成した「試験操業に関する基本方針」と題する書面について警察庁より何等の回答を得ていないことは前記認定のとおりであつて、原判決が「福島において警察庁警備課に出向き(右書面について)その意向を確かめたところ、不法ではないとの回答を得た」と認定したことは事実誤認のそしりを免れないところである。従つて被告人等が渡辺より具体的事実、具体的資料に基づいて中央治安当局の承認を受けたと説明された事実は到底認めることができない。尤も被告人等は渡辺より漁業合作協定に関する新聞の切抜等を示された際、治安当局の承認を受けていると示唆された事実は原審及び当審の証人渡辺清茂に対する各尋問調書により一応窺うことができるところであるが、しかしそれも極めて漠然とした話に過ぎず、しかも韓国貿易に従事した経験もあり、本件の約二年前に本件と同様渡辺の漁業合作協定交渉のためひそかに北鮮に向け出国を企図した昭光丸事件において関係者の逮捕により失敗に終わつた経験を有する被告人等にとつて、渡辺の右漠然とした言によつて、北鮮との漁業協定の交渉のため出入国管理令の定める手続によらないで出国するにつき中央の治安当局の承認があり、合法的なものであると信じていたとは到底考えられないし、仮にそう信じていたとすればそれは重大な過失に基づくものであつて、正当な理由があると云い得ないことは明らかである。
(ロ) 被告人等において渡辺の計画した北鮮との漁業合作協定の成立が日本漁船の安全操業を保障し、国益に資すると信じたことには一応理由があると認めることができる。しかし目的が正しいからといつてその故に法令の定める手続を無視し、違法な手段を用いて出国することが許されないことは法治主義の原則に照らし言をまたないところである。そして日本国民には出入国管理令、旅券法等の定めるところに従い適法に出国する途も開かれているだけでなく、たとい共産圏諸国へ出国するにつき旅券の交付を受けることが事実上困難であつたとしても、渡辺や被告人等にとつて違法な手段を用いて迄北鮮へ赴き、漁業合作協定の交渉を急がなければならない程の緊急の必要性が当時存在したとは認めることができない。されば、被告人等が国益に合致するとの確信のもとに本件出国を敢てしたとしても、未だもつて出入国管理令の定める手続によらない本件出国が法律上許されたものと信ずるについて正当な理由があると断ずるには到底足りないと云わざるを得ない。
(ハ) 鳥取県警本部及び島根県警本部において旭洋丸の動向につき出入国管理令違反等の嫌疑を抱き、所轄の境港警察署、浜田警察署の署員等をして関係者の尾行や職務質問等をさせ、その容疑を固めようとしたが、未だ強制捜査に踏み切る迄の確信を抱くに至らない間に、旭洋丸が予期に反して境港に寄港せず、温泉津港から直接北鮮に向け出航したため、結局本件出国を未然に阻止できなかつたことは前記認定のとおりである。その間において境港警察署の景山巡査部長が渡辺等にウイスキー一瓶を贈り、又浜田警察署の原巡査が旭洋丸の乗組員に対し、海上保安部の者に聞かれても密出国の容疑で職務質問を受けたことを云うなと告げたことも前記のとおりである。そして景山巡査部長の場合は、旅館で渡辺等から酒の馳走を受けたことの返礼であると弁明しているし、原巡査の場合は上司の小林警部補の指示に基づくものであるところ、同警部補は折角警察で捜査に着手しながら海上保安部の者に先を越されたくなかつたと供述し、右警察官等の意図に他意はなかつたものと認められるが、しかし旭洋丸関係者に対し密出国の嫌疑を抱いていた警察官の態度としては厳正たるべき捜査権の行使につき故なく国民の疑惑を招き、容疑者をして黙過して貰えるのではないかとの希望的推測を生ぜしめるおそれがあり、極めて軽卒な行為であつて到底非難を免れないところと云わざるを得ない。また旭洋丸が境港へ帰港した際、鳥取県警本部と島根県警本部との連絡が不十分なためいずれの警察においても逮捕状の用意がなく、結局浜田海上保安部において逮捕状を用意し、被告人等の身柄を引取ることとなつたが、その際境港警察署において十分な証拠保全の措置が講ぜられなかつたことも否定できないところである。そして右の各事実はいずれも警察官として著しく不穏当な態度であるとの譏を免れないところであるが、しかしながらこれらの事実によつて被告人等に警察の黙過的取扱を期待するとの心情を生ぜしめたおそれが多分にあるとはいえ、黙過的取扱を期待することと法律上許されている(合法的である)と信ずることとの間には本質的な差異があるものというべきであり、右事実をもつて直ちに被告人等が本件出国についてこれが法律上許されているものと信じ、又はそう信ずるについて正当な理由があるとなし得ないことも当然である。
却つて被告人洲崎は検察官に対し「出国について旅券や船員手帳を持たなかつたので、正規の出国でないことは判つていた」(同被告人の検察官に対する昭和三六年一月二五日付供述調書、記録九七六丁裏から九七七丁表)、「浜田へ来て正規な手続がとられていない上、警察も諒解していないことがわかつた」(同じく検察官に対する同年二月五日付供述調書、記録一〇〇一丁裏)旨供述し、また被告人江籠平は検察官に対し「浜田港で旭洋丸の出港は不法な出港であり、北鮮へ行くのは正規の手続で行くのでないことがはつきりと感ぜられ、おかしいから北鮮行を止めようかと船員に話した記憶がある」(同被告人の検察官に対する同年二月二日付供述調書、記録一〇三九丁裏)旨供述しており、右各供述と前掲の認定事実とを総合してみれば、被告人等はいずれも本件出国が違法のものであり、警察等においてこれを承認しているものではないことを認識していたものと認めるのが相当である。
されば、原判決が「被告人等は本件出国について治安当局の承認があるものと信じ、かつそのように信ずべき正当な理由があるから罪をおかす意思がない」と認定したことは、事実を誤認し、かつ犯意に関する法令の解釈適用を誤つた違法があるというべきである。
(二) 次に原判決は「仮に被告人等が浜田港において違法の認識を得たとしても、渡辺より二〇万円を受領して出港準備を完了していたこと、北鮮行を断念して牛深へ帰つても野元功に対して航海費等の清算をする当がなかつたこと、国家的目的のために北鮮へ行くという強い確信の度合からみて、被告人等に本件出国を思いとどまることを期待するのは不可能であつた。」と判断しているので、この点について検討する。
被告人等が本件出国の違法性を知り又は知り得べきであつたことは前記認定のとおりであるところ、一般に犯罪をおかそうとする者が共犯者よりその費用や対価を受領し、準備を完了したからといつて、右犯行を思いとどまることを期待するのが不可能であるとなし得ないことは多く言をまたないところであるが、本件においても被告人等が渡辺より北鮮行の費用として合計二〇万円を受領し、その一部を燃料や食糧等の購入に使用し、一部を乗組員の間で分配したことは前記認定のとおりであり、右事実によつて本件出国を思いとどまることに多少困難を伴うことが一応予想されるにせよ、直ちに不法出国の断念を期待できないとなし得ないことは曩の理により明らかなところである(なお、渡辺のかような支出は民法上の不法原因給付となるから、被告人等に対しその返還を請求することはできないであろう)。また被告人等において野元功に対し航海費や鮮魚購入費を清算する資力がなかつたということも、本件不法出国の断念を期待できないとする理由になり得ないことも前同様といわなければならない。
更に、被告人等が北鮮との間に漁業合作協定を成立させることをもつて国益に合致するとの確信を抱いていたとしても、当時の客観情勢に照らし、違法な手段を用いて出国することを正当視し得る程の緊急性を認められないこと前記のとおりであるから、右事実をもつて被告人等に本件不法出国を断念することを期待できなかつたとの根拠とするに足りない。
されば、この点に関する原判決の前記認定もまた事実を誤認し、かつ期待可能性に関する解釈適用を誤つた違法があると云わざるを得ない。
(三) 最後に職権をもつて被告人等が出入国管理令第六〇条にいわゆる「乗員」に該当するか否かについて検討せる。
被告人洲崎に関しては、同被告人は渡辺の代表する社団法人交易合作公社のため本件旭洋丸の傭船を斡旋し、右公社の代理人たる立場において乗船したものであり、同船において船舶労務者として船内業務に従事した者ではないから、同被告人が出入国管理令第六〇条にいう「乗員」に該当しないことは多く言をまたないところである。
次に被告人江籠平に関しては同被告人は旭洋丸の船長として乗組み、実際に船長としての業務に従事したものであるところ、出入国管理令第六〇条においては単に「乗員を除く」と規定してあり(この点同令第三条と規定の仕方が相違する。)かつ同令第二条第三号に乗員の定義として「船舶又は航空機(以下船舶等という)の乗組員をいう」と定められているので、旭洋丸の船長たる同被告人は同令第六〇条の「乗員」に該当するのではないかとの疑問がある。
しかしながら、出入国管理令第六〇条において日本人の出国につき原則として有効な旅券を所持し、かつこれに出国の証印を受けなければならないと規定し、かつ旅券法において旅券の発給に関し必要な手続を定めた所以のものは、公共の福祉に反する日本人の出国を制限すると共に本邦外の地域に赴いた日本人をしてその身分証明を容易にし、わが国の外交上の保護を得させることを目的とするものと解されるところ、船舶等の乗組員はその職務の性格上、出国目的が簡明であり、常時船長の管理下に置かれ、船舶等と共に移動し、かつ乗員手帳によつてその身分を証明することが可能なので、国際慣行と出入国管理の便宜に基づき右乗員手帳をもつて旅券にかわる身分証明文書と看做し、例外的取扱いが承認されているわけである。従つて、たとい船舶運航の業務に従事する者と雖も、乗員手帳等の身分証明文書を全然所持しないで秘かに本邦を出国する者のごときは出入国管理令第六〇章の「乗員」に含まれないものと解すべきこと同令の前記目的に照らし疑いを容れないところである。
なお本件当時施行されていた船員法第一条第二項第三号によれば「総トン数三〇トン未満の漁船」に関しては同法の適用が除外されていたため、右小型漁船の乗組員は船員手帳の受給資格を有しなかつたが(かかる小型漁船は通常本邦の沿岸又は近海で漁撈に従事し、本邦外の地域に赴くことが予想されない。)、かかる小型漁船を用いて本邦外の地域に赴く目的をもつて出国する際には、たとい乗組員と雖も旅券を所持し、これに出国の証印を受けなければならないこと前記解釈に照らし当然であつて、本件旭洋丸(一九・八九トン)が右船員法の適用除外に当る漁船であり、被告人江籠平が船員手帳を有しなかつたことは証拠上疑いの余地がないから、同被告人もまた出入国管理令第六〇条の「乗員」に該当しないことも明らかである。
されば被告人両名が本件出国に当り有効な旅券を所持しなかつた以上、同被告人等が出入国管理令第六〇条に違反するものであることは到底否定できないところである。
以上の次第で、原判決には事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つた違法があり、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて刑事訴訟法第三九七条第一項第三八二条第三八〇条に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に基づいて当裁判所において更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人両名はいずれも日本人であるが、昭和三五年一二月二四日渡辺清茂、川口治男、大野広美、鼎富勝、積親夫、岩崎辰巳及び尾崎清次郎こと張永晋と共謀の上、いずれも乗員ではないのに有効な旅券を所持しないで右渡辺清茂を除く川口治男外五名と共に漁船旭洋丸(一九・八九屯)に乗船し、島根県邇摩郡温泉津港より朝鮮民主主義人民共和国新甫港に向け出港し、もつて不法に本邦を出国したものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、本件は国家機関が被告人等に対し物質的援助及び協力をなし公認した行為であつて、これが出入国管理令に抵触するとしても刑法にいう正当行為として違法性を阻却される、また被告人等は国家機関の承認があると信じ、善意で出国したものであつて、罪をおかす意思がまつたくないから、被告人等は無罪であると主張するが、しかし前記検察官の所論に対する判断として記載したところと同一の理由により右弁護人の主張は失当であつて、到底採用できない。
(法令の適用)
被告人両名の判示所為はいずれも出入国管理令第六〇条第二項第七一条刑法第六〇条に該当するところ、所定刑中各懲役刑を選択し、その刑期範囲内において被告人洲崎を懲役六月に、被告人江籠平を懲役四月に各処し、但し情状により刑法第二五条第一項を適用して被告人両名に対しこの裁判確定の日から夫々一年間右各刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人両名に負担させないこととする。
よつて主文のとおり判決する。